箱庭遊びとしての音楽シーン(2)

ライブ演奏に触れたことのある人たちは、そこに音源や動画とは全く別種の面白さがあることを当然のものとして知っていると思います。
しかしライブ演奏の場として一般的な、ローカルなライブハウスの平均集客は落ちる一方で、つい最近にも「渋谷屋根裏」という非常に有名なライブハウスが経営困難に陥って出資を募っているというニュースがありました。
【渋谷屋根裏が経営悪化で営業終了、存続のため協力者募集(ナタリー)】

これほど有名なハコですら経営悪化する背景には、以前作ったtogettterまとめ【続・なぜライブハウスはバンドに集客を依存するのか?】
にも書いたように、ライブハウス側以上に出演者側の意識に問題があると思っています。
しかし同時に「既に知っている出演者を除いて、支払う金銭と時間に見合うショウを観れる保証がない」ことによって「ふらっと足を運ぶ」ことにお客さんが二の足を踏んでしまうことも大きいと思います。そもそもそういう文化的土壌が日本に出来ていないという意味でもあるのですが。

単純にライブハウスチケットの相場が高い(1500〜2500円程度+1ドリンクが一般的、アメリカでは5ドル前後)こともありますが、ライブハウス或いは出演者が奮発して500〜1000円、時にはフリーのイベントを企画しても爆発的に集客数が伸びるとは限らないのが実情です。
前回書いた「大御所、フェス、アイドルを除いてライブ集客が増えていない」というのも結局は「観たいものが観れるとは限らない」お客さん心理の現れではないでしょうか。

それに対し「あらかじめそれが観たいものかどうかを提示する」ため、アマチュア/インディミュージシャンでPVやライブ映像を撮影してYouTubeにアップし宣伝に使っている人たちも多いですが(全く効果がないとは思っていません)、そもそもYouTubeでアマチュアミュージシャンの動画を積極的に見たい人たちがどのくらいいるかと考えると、費用対効果においてやや疑問が残ります(あくまで日本の場合)。

ここでようやく前回の話に戻ってきます。
つまり既に大きなリスナー層を持つボカロシーンとの融和を図れないだろうか、ということです。
前回示したカラオケランキングに現れているように、もはやポップミュージック一般のリスナーにとってニコニコ動画を中心としたボカロシーンは、ライブハウスを中心とした生演奏中心のシーンより遙かに大きくなっています。
それどころかいわゆる「J-POPシーン」より大きく(見方によっては、その中の最大勢力に)なりつつあるのです。またその拡大を続けるシーンが縮小に向かう兆しは現在のところ見られません。それと同時に、(ほぼ)全てを打ち込みで作るボカロシーンにおいてすら、生演奏による楽曲の「ライブ感を伴った」再現には抗えない魅力のあることが示されています。
ならばボカロシーンというより大きな箱の中に、その一部、或いは重なり合いとして生演奏のシーンを再定義するほうが生き残りの方策として現実的ではないかと思うのです。

具体的には、自分たちの楽曲をまずボカロ曲として作成、ニコ動にアップし、その「演奏してみた動画」として自分(たち)のライブ動画をさらにアップ、しかる後それを元にライブの告知をする、という手順になります。二度手間のようにも見えますが、現在のリスナーと音楽シーンとの関係を考えれば、興味を持ってもらうためのレイヤーを何段階にも用意するのはおかしなことではありません。

「ボカロが売れるのはそれがボカロだからだろ?」という反論が飛んできそうですが、ボカロPから出発して一般ミュージシャンとのコラボ作品を作って実際に売れている人たちも増えているので「自分の音楽を広める導線としてのボカロ」には充分なチャンスがあると考えられます。
(参考-【ボカロP&ネット音楽クリエーター最前線-DrillSpin Columnより】
もちろんボカロシーンの中にもある種の「売れ線」的なものは存在しますが、近年ではヒットする音楽性もかなり多様化しているのでやる価値、可能性はYouTubeより遥かに高いように思えます。
若い人たちの中では既にやっているミュージシャンも増えてきているようで、ポップミュージックというのはやはり本質的に若者のものなのだな…と僕のようなおっさんは感慨に耽ったりするのですが。

また一方でニコ動界隈では嫌儲思想がかなり根強いため、最初から売れることを目指して活用することへの反発は確かに予想されます。しかし初期と比べればライトユーザーも増えているし今後も増えていくだろうと思われるので、あまりそこを気にするよりも素直に楽曲への「即座に返ってくる」反応を楽しむほうが健康的ではないでしょうか。

仮にそのやり方がスタンダード化するなら、ライブハウスにはニコ生やUSTREAMを配信できる動画撮影環境が必須となるだろうし、また打ち込みの苦手な人のために腕の良いボカロPが依頼されて音源をボカロ化する商売が出てきても不思議ではありません(もうあるのかもしれませんが)。

現在主流のアイドル的な売れ方と相似のシーンとしては既にV系があるので、そこに(心理的側面にしろ、楽曲ジャンルや歌詞の面にしろ)適応できない人たちがボカロシーンの売れ方を参考にするのは自然な成り行きのように僕は思うのですが、いわゆる「オタクカルチャー」との結びつきを拒む傾向がまだまだライブハウスシーンの大勢を占めているのは残念です。

いくら「昔は良かった」と懐かしんだところで時代は変わっていくので、新しい環境に適応できる人たちが生き残るのは仕方ないと思っています。特にメインストリームのものとして輝きたい音楽をやっている人たちが、抵抗を続けて地下にとどまり続けることに意味があるとは僕には思えません。
さらに言うなら、地下にしか居場所がない音楽をやっている人たちも、明確なメインストリームがあってこそカウンターとして輝くと思うのです。

もっともその「メインストリームの音楽」でさえも、現在では多種多様な趣味の箱庭の一つに過ぎないのは言うまでもありませんが。

この件は以上です。

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箱庭遊びとしての音楽シーン(2)」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 渋谷屋根裏の件と絡めて。ボカロシーンとの融和で「歌ってみた」「演奏してみた」の場としてライヴハウスを再び蘇らせることができるのではないか?というアイディア。これは有効かも

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