「オリジナル曲によるライブミュージック」という幻想

今回はボカロ環境の活性化によってアマチュア/インディミュージシャンの活動に何がもたらされるかをもう少し掘り下げたいと思います。

さて前回「インターネットカラオケマン」に象徴されるような「歌い手のレベル低下」の話に触れましたが、ではそこに学生や社会人の趣味でやるコピーバンドとどのような違いがあるでしょうか。
もちろんその中には凄腕がいて、ヘタするとオリジナルより質の高い演奏をする人たちもいます。
しかしそのような人たちは稀で、たいていは「生バンドによるカラオケ」の域を出ず、またその演奏がカラオケ伴奏以下であることも珍しくありません。

これがニコ動であれば匿名ゆえのリアクションによって(無料試聴ですら)ボロクソに叩かれるわけですが、お互いの顔が見えるライブハウスではなかなかそうはなりません。しかし安くない金を払って、そういう質の低い歌と演奏を聞かされたお客さんたちが満足するとも到底思えません。
とはいえ、コピーバンドのライブというのはほとんどの場合友人を呼んで内輪で楽しむものなので、少なくとも友人のライブを見る限りにおいては、そこには前回述べたような「共犯関係」が存在するとも言えます。なので必ずしも不満ばかりを抱えるとは限りません。これが不特定多数を対象にした「歌い手」とコピーバンドとの違いとなります。

ではオリジナル曲によるライブはどうでしょうか。
ライブハウスでオリジナル曲のライブをやる場合には、大金を払っての貸切形態でない限り、知らないバンド/ミュージシャンと共演する「対バン」形式となります。当然のことながら、他の出演者のお客さんたちは友人ではありません。
そこでお客さんの聞かされる曲が平凡以下、歌も演奏も下手、音楽性の趣味も合わない、としたらどうでしょう。いかなる共犯関係も存在しない以上、そのライブはお客さんにとって他人の歌うカラオケ「未満」です。もっとはっきり言ってしまえば、その場にいることが苦痛でしかないでしょう。

どうも日本ではその楽曲が演奏者のオリジナルであることを神聖視する傾向がありますが、残念ながらこれは幻想です。英米では質の低いオリジナルを演奏されるぐらいならコピーのほうが喜ばれる文化があります。「英米では」と書きましたが、日本では文化と呼べるほどの下地が整っていないだけで、上記の理由で本当は同じことなのだと思っています。楽曲、演奏ともに質が低いのなら、お客さんにとっては同じ下手でもコピーバンドを見るほうがおそらくマシです。
もちろんライブショウとして、音楽以外の部分で見せ物としての面白さがあればまた話は別で、だからこそMCが面白かったり客いじりが上手かったりするミュージシャンがお客さんを集めやすい面もあるのですが。

ところで昔は「ライブという行為をやりたい」という欲求のためだけでなく、自分の音楽を他人に問うために、見知らぬ人と何かしらの「共犯関係」を結べるかどうかを試すために、未熟を承知でライブをやる意味がありました。
翻って現在は、インターネットの登場および発展によってライブをやらずとも楽曲を発表し、不特定多数からの評価を得ることが可能となっています。

結局のところ、経営に四苦八苦するローカルなライブハウスで起こっているのはこういうことなのです。快適な自宅でプロ/アマ問わず幾らでも新たな音楽を探し視聴出来る環境があるのに、つまらない思いをするリスクを背負ってわざわざ高い金と時間を費やしたいと考える人は少数です。
ライブハウスに人が集まらない一方でニコ動に集まるのは、そこにリスクがないからです。また大型フェスに集まるのは、リスクに対して面白さがある程度担保されている(と考えられている)ことが関係しているでしょう。いずれもブーム(これもある種の共犯関係)的な側面があるのは否定しませんが。

いずれにせよライブハウスにおいて、お客さんにとってのリスク/リターンのバランスはインターネット以前とは大きく変わってしまいました。そのことを理解出来ず「オリジナル曲によるライブは、ただそれだけで他の形態に優る」という幻想にしがみついている人たちが現在苦戦しているのだと思います。

ところで周知の通り、以前からMyspaceやYouTubeその他に楽曲をアップすることは出来たわけですが、問題はネット上にある膨大なコンテンツの中にあって、いかに不特定多数のリスナーを自分の音楽に導くかでした。英米では幾つも成功例がある中で日本ではなかなか上手くいかず(現時点で唯一の成功例と言えるのがニコ動を駆使した「神聖かまってちゃん」でしょう)、多くのアマチュア/インディミュージシャンがこれに悩んできました。しかし何度となく述べてきたように、現在ではボカロとニコ動、さらには各種SNSによる拡散を組み合わせることによって、その労力を大幅に軽減出来る可能性が出てきました。

繰り返しますが、ボカロで曲を先に発表することでライブをやる前に自分の音楽の評価を問い、そこで高評価を得たならそのときこそライブをやればいいわけです。既にネット上で共犯関係を結んだリスナーがいるのですから、その人たちをライブに連れてくるのは全く無関係な他人を自分のお客さんとするよりは遥かにハードルが低いのではないでしょうか。

またそのようにネットで一定の評価を受けてからライブをやるミュージシャンが増えれば、お客さんにとっても酷いライブを見せられるリスクが減るわけで、するとお客さんがライブハウスへ足を運ぶ上でのハードルもある程度低くなります。
或いはその状況が加速していけば「ニコ動かYouTubeでの楽曲再生回数一定以上」がライブハウスでのオーディション代わりになる未来も考えられます。というより、現在のリスナー環境を鑑みて、いずれそうなっていくべきだ、とすら僕は思っています。

次回は、仮にアマチュア/インディミュージシャンがボカロとニコ動を活動基盤とすることがスタンダードになった場合、その先に何が起こり得るか、について述べることにします。

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「オリジナル曲によるライブミュージック」という幻想」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 「歌う」ということ | ロックンロール哲学者のブログ

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