「歌う」ということ

バンドマンでありながらたびたびボカロを推奨している僕ですが、別にボカロが人間のボーカルを駆逐するとは思っていません。
むしろ最終的には、ボカロが人間の代役になれないことが証明されると考えています。
まぁテクノロジーを担う方々からすればそれは楽観的な見方と思うかも分かりませんが、少なくとも現時点で僕はそう思っています。

一方で、プログラムが人間に近い歌(のようなもの)を鳴らせるようになったことで、機械のようにしか歌えないボーカルの価値が下がることは確実です。
「機械のようにしか歌えない」というのは、正確なピッチ、テンポキープ、広い音域、そういうシステマティックな部分にしか売りがないボーカル、という意味です。そういう種類の正確さであれば、それこそプログラムにやらせたほうが得意に決まっているのですから。

なるほど人間のほうが融通は利くし面倒な入力の手間も省けるのは確かです。しかしボカロが実用化済みのテクノロジーである以上その進化は単に時間の問題と考えるべきでしょう。スマホにダウンロードしたAndroidアプリでちょっとした空き時間に歌メロを作成し、クラウドでPCと共有して細かい作業は後で…そんな時代が数年後に訪れたとしても何ら驚くべきことではありません。
さらに言えば、鼻歌で作ったメロディを楽譜に起こしてくれるアプリなんてものが既にある以上、こういった楽曲制作の手間を簡略化してくれる技術が今後どんどんボーカロイドエディタに導入されていくと考えるのが自然です。

つまり「ボカロに歌わせる」ことの敷居がどんどん下がっていくのは必ず訪れる未来なので、人間のボーカリストとしては「ボカロに出来そうにないことは何か」を考え、取り組んでいくべきでしょう。
前置きが長くなりましたが、これが今回の主題です。

具体的には何があるでしょうか。

・必ずしも正確ではない、人間の演奏に合わせて歌うこと。
これは難しいでしょう。精度を問わなければある程度追随する技術は可能かもしれませんが、人間同士のプレイではしばしば相手の呼吸に合わせたりアイコンタクトなどによる即興が生まれたりするし、クセの分かる相手とプレイする際にはある種「先読み」のようなものでノリを作る場合もあります。それこそジャズのフリーセッションなどにおいては、そういった能力に長けてないとそもそも音楽として成立させることすら難しかったりします。

・感情を込めて歌うこと。
これは作り手の技術によって「演技させる」ことは可能かもしれません。しかし同じ感情を込めて歌おうとしても、その時の気分や環境、体調などに左右されるのが人間です。なので「込めたい感情を、正確に込めて」歌うことはむしろ「人間のように感情を込めて」歌うことにはならないわけです。そのような揺らぎをプログラムに(しかも人間が聴いて心地良いように!)持ち込むのは、絶対に不可能とは言わないまでも相当に難しいのではないでしょうか。少なくとも感情なるもののなんたるかさえ解明されたと言えない現在においては、ちょっと目処が立ちそうにありません。

他にも例は挙がりそうですが、結局のところ「ある意味で正確さを欠いた歌を、魅力的に聴かせる」こと、これが「人間ならではのボーカル」の目指すべきことなのではないでしょうか。

もちろん正確に歌う必要がないという意味ではありません。ピッチもリズムも良いに越したことはないですし、例えばクラシックの声楽などにおいては技術的にそこがクリア出来てなければスタートラインにも立てないでしょう。
しかしここで言いたいのはそういうことではなく、「人間が歌う意味は、正確さの外側にある」ということです。これは高い技術が当然のものとして要求される声楽やジャズにおいても同様のはずです。
ポップミュージックにおいても、とりわけロック系に顕著ないわゆる「ヘタウマ」の面白さというのは、技術の未熟さを補って余りあるほど「正確さの外側」の魅力を追求していることにあると思います。

よく「下手でも自分らしさが出てればいい」みたいな発言を聞きますが、これは多くの場合勘違いで、その「自分らしさ」に魅力がなければただの下手クソに過ぎないわけです。別の稿でも述べましたが、「オリジナルであること」それ自体に価値があるのではなく、そこに替えの利かない魅力があればこそのオリジナルです。

ではどうやって「替えの利かない魅力」を生み出すかですが、これはこの稿の終盤で述べたように「その音楽がなぜその形でなければならない(その形であるべきな)のか」、この場合「なぜそう歌わなければならない(そう歌うべきな)のか」という意思や信念、価値観や哲学が反映されていることが必要なのではないか、というのが僕の見解です。

そんな小難しいこと考えなくとも良い歌を歌える優れたボーカリストがたくさんいることも承知していますが、そういった人たちにも一度ぐらいはこの件について考えてみて欲しいものです。

ただ歌うのが楽しいだけならカラオケに行けばいいのですし、オリジナルソングで歌いたいだけならスタジオでやればいいのです。人前で表現の是非を問う以上、自分の表現がどんなものであるかを自覚する必要はあると僕は考えています。
もちろんこれはボーカルに限らない話になるわけですが、またその一方で「フレーズを歌わせる」とよく言うように、「歌うということ」は実はボーカル以外のパートにおいても大事な問題です。

なので次回はボーカルに留まらない範囲に踏み込んで考えていきたいと思います。

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