ヴィジュアル系から学ぶべきこと(4)

これまでV系を選ぶメリットを中心に話してきましたが、デメリットもないわけではありません。

それが音楽性を指す言葉でないということは、逆に言えばどんな音楽であってもV系という枠組みの中で語られてしまうというリスクでもあるわけです。そしてご存知の通り、非V系のミュージシャンや音楽ファンにとって、V系とはしばしば蔑称でもあります(若い世代ではそこに伴う差別感情はだいぶ解消されてきた感もありますが)。

アンチV系にとってV系という言葉には「ゴミみたいな音楽を演出の力だけで売っている連中」という偏見が多分に含まれているようです。そして必ずしもそれは根拠のない偏見と言えないことが、アンチV系が持つ嫌悪感の根源にあると僕は考えます。

つまり「主要顧客であるバンギャの多くは、音楽にこだわりがない」ことです。これは実際バンギャをやっている知人にそう宣言されたこともあり、僕自身はこれを事実として受け取っています。

とはいえ反論もあるでしょう。V系の中でも売れるバンドと売れないバンドがあり、またその決め手は単に見た目の良し悪しとは限らないからです。全員フロントマンになれるような美形ばかり集めたバンドでも売れなかったケースは珍しくも何ともありません。V系の中でも売れるのは基本的に良い音楽をやっているバンドだ、だからファンが付くんだ、という意見は容易に想像できますし、それ自体は否定もしません。

しかしいくらV系が売れるといっても、音楽シーン全体の中ではあくまでごく一部の世界です。「まずV系である」という枠の中で音楽の良し悪しを選ぶということは、判断する上での母数が極めて少ないわけです。単純な算数の問題として「母数100の中から上位10を選べ」というのと「母数10000の中から10を選べ」というのでは、どちらがより上質な上位10を選び得るかは自明です。

バンギャが「V系も非V系も問わず聴き、同じぐらい良い音楽であればV系を好む」というような基準で選ぶ人ばかりであれば前述の偏見は誤解であると言えるのですが、残念ながら現在のところそうではないようです。なので良い音楽をやるが故に「V系の枠に括られたくない」と考えるミュージシャンも多いでしょう。売れ始めた頃のラルク・アン・シエルがV系として扱われるのを非常に嫌っていたことは象徴的だと思います。

しかしそれはチャンスでもあります。先程の例でいう「母数10000の中の10」がV系に入ってその売り方を徹底すれば、或いは音楽の力で圧勝出来るかもしれません。かつてのような「V系=歌謡ハードロック/メタル」な世界であれば音楽ジャンルをそこに合わせる必要がありましたが、既に何度も述べた通り現在のV系には音楽的な縛りが少ないのですから。

またそこで質の高い音楽を提供するミュージシャンが増えることで、バンギャの音楽リテラシーが高まれば言うことはありません。それはアイドル好きと並んでロイヤルティが高くかつ音楽に造詣の深い顧客を創造することになり、結果として理想的な市場を生み出すかもしれないからです。
さらに言えばV系は他のいわゆる邦ロックより遙かに欧米での認知度が高いため、日本の音楽業界を尻目に海外中心に活動してライブ収入で食う、というのも他ジャンルより遙かにハードルが低いように思われます。

とはいえ、僕は必ずしも「売れるためにはV系をやるべき」と考えているわけではありません。やはりV系ではやりづらい音楽、歌詞、ステージング等が存在するのですから、そういうものを曲げてまでV系に向かうのでは本末転倒でしょう。

すると「なぜ自分はV系をやらないのか、なぜ自分の音楽をV系では出来ないのか」を明確にし、自覚するのが重要になってきます。またこれまで述べてきた「V系の売れる理由」と、自分たちの表現とを対比する必要もあるでしょう。

つまり、「緻密な世界観」「世界観を補う、分かりやすくディフォルメされた人物造形」そして「それらと親和性の高い歌詞、楽曲」を、自分たちは持っているか? また持っていたとして、それはV系では出来ないものなのか? それらに需要はあるのか?と自問することです。

それら全てをクリア出来るなら、あとは顧客ロイヤルティの問題だけとなります。
こればっかりは正直、V系に対抗するのはかなり困難ですが、しかしV系全般に言えることとしてお客さんに対して非常に「マメ」です。
ライブ後積極的にお客さんに話しかけること、ブログやTwitter等に付いたコメントへの返事の仕方などを見るにつけ、おそらくV系は外見以上にそういうマメさが「モテて」いるのでしょう。このあたりは少なくとも女性を主要顧客と想定しているバンドであれば参考にしたほうがいいと思います。

さて放っておくとまだまだ書いてしまいそうなので、この件はこのあたりにしておきます。
要するに僕が言いたいのは「音楽の力で勝負したいのであれば、なおさら音楽以外の部分での負けをそのままにしておくべきではない」ということです。勝つためには敵を知らなければならないという当たり前のことです。

そんなわけでアンチV系の皆さん頑張ってください。
そしてV系の皆さんは音楽でアンチに負けないよう頑張ってください。

僕自身はV系シンパでもアンチでもなく、ただ良い音楽が盛り上がってくれればいいのです。

ヴィジュアル系から学ぶべきこと(3)

前回「V系は古来からの日本的美意識に沿った 表現形態であり、その登場と隆盛は必然であった」という話をしました。

加えて初期V系は「イケメンがやるもの」だったこともあり、女性ファンが多数いるのも頷ける話です。
現在では必ずしもメンバーに特別なイケメンがいる必要はなく、少なくともフロントマンがよっぽどのブサイクやデブでなければ充分成り立ちます。もちろんいるほうが有利なのは言うまでもありませんが、それはV系に限らずどんなジャンルでも似たようなものでしょう。

さてV系は既に定番化しており、多少の浮き沈みはあれ他のジャンルと比べマーケットがかなり安定しています。
なかなか一般のチャートには数字となって現れにくいですが、100~200人キャパのライブハウスまで降りていくと違いが良く見えます。非V系バンドでは集客0~5人のライブなど当たり前に見かけますが、V系では(もちろんまだ火の点いていないバンドで)集客20人でも少ないほうです。というよりV系においては結成半年~1年活動して20人集客できないようなバンドは解散したほうがいい、ぐらいのシビアな認識があるようです。

これは主にお客さん側の問題で、昔はいざ知らず近年の非V系ライブハウスのお客さんは「知ってるバンド観たら帰る」のが当たり前になってしまいましたが、V系ではいまだに「都合が許す限り全てのバンドを観る」、しかもよっぽど気にくわない場合を除き、初見でも「とりあえずノって(ヘドバンや振り付けなど)みる」、つまり自発的に楽しんでみるという文化があります。

正直に白状すると僕自身はみんなで同じノり方をさせるような同調圧力は好きではないのですが、しかしお客さん自身がそれで楽しいのであればお客さんの勝手でしょう。また最近では非V系の邦ロックバンドも熱心なファンが振り付け考えて最前列付近のお客さんに強要したりするらしいので、こういったお客さんの楽しみ方を指してV系を否定するのも筋違いというものです。

「そもそもファンの中で同調圧力が生まれる時点でロックとしてどうなんだ?」という意見もあるし基本的には同意なのですが、それを言ったら日本でロックという文化/価値観がきちんと理解され定着したためしなどこれまでの歴史上一度もないので、そこを議論するのは時間の無駄というものでしょう。

重要なのは「多くの日本人はそういう楽しみ方が好き」であると認めることです。認めた上で受け入れるのも反発するのも自由と思います。しかし「その事実は認めたくない、でも日本で売れたい」などと子供みたいな駄々をこねるのはみっともないので止めたほうがいいのではないでしょうか。

やや脱線しましたが、知っての通りV系のファンはその多くが女性です。そしてV系に限らない傾向として、一旦ファンになるとお金を落とすことにためらいが少なくなるのも女性です(まぁ近年は男性でもアイドルヲタが凄いことになってますが、ここでは除外します。なお「現在はアイドルがロックだ!」的な言説を僕は一切受け付けないのでご了承ください)。

なのでV系は非V系に比べ圧倒的にファンが付きやすく、かつ物販も売れやすい、つまり衣装代等を差し引いても、有名になる前の段階で活動に余裕が生まれやすいわけです。そういうマーケットが既に出来上がっているのだから、当面の活動しやすさを考えるだけでもV系を目指すに充分な理由があると思います。

なお近年のV系に見られる傾向として、もともとモダンヘヴィかハードコアをやっていたところから転向するバンドが増えてきているようです。これは実際にハードコアをやっていた知人が僕に教えてくれたのでおそらく事実でしょう。その知人の言葉を引用したいと思います。

「パンクとかメタルとかの世界でトップに立ってもせいぜいO-EASTでワンマンやるぐらい、でもV系のトップは東京ドームでやれる」

まぁそういう夢やロマンを求めるならそもそもハードコアをやる時点でどうかと思いますが、しかしこの言葉そのものはまさしく事実です。ここで思い出して欲しいことがあります。「V系とは音楽ジャンルを指す言葉ではない」のです。

つまり「音楽性をいじらずに売れるためにV系を目指す」という選択があるわけです。

「いやだから売れる売れない以前にV系の美意識が自分に合わないからやりたくないんだよ」という方も多いでしょう。僕もそうでした。また「そこまで魂売りたくない」という方も多いようです。しかしこれは大いに疑問があります。

このトピック1回目で書いたフェスの話を思い出してください。好きなことをやろうにも、売れるには結局各フェスの客層に好まれる音楽でなければ厳しい、という話です。

では売れるために音楽性をいじるのは魂売ったことにならないのでしょうか。

近年のV系はその多くが「やりたい音楽を曲げずにどうやって売れるか」を検討した結果です。考えてみてください。売れるために音楽を変えるのと、音楽を変えずに売り方を変えるのと、どちらが音楽に対しより誠実なのでしょうか。

もちろんV系的な世界観と親和性の低い音楽もあるわけですが(例えばアフリカ民族音楽を下敷きにしたジャムバンドでV系というのは無理があるはず)、とりわけアンチV系の多いB級パンクについてはNANAというマンガがその相性の良さを証明してくれているし、また幻想的な音像の多いポストロックなんてもしかしたら一番合うのではないかとさえ思います。

もちろん歌詞の問題はあります。ここで多くはあえて語りませんが、V系にはV系にふさわしい詞世界があるわけで、それを歌うのは趣味的にどうしても嫌だという方もいるでしょう。
しかし正直なところ、歌詞カード読んだだけで曲を聴きたくなるような優れた歌詞を書けるミュージシャンなんてほとんどいません。むしろ「頼むから俺に分からない言語で歌ってくれ」と願うようなゴミ詞がアマチュア/インディミュージシャンの楽曲の少なくとも9割を占めているのですから、その残り1割を除いて、歌詞にこだわりなんて持つだけ無駄だと僕は思ってしまうのですが。

言いたいことの大部分は今回で言ってしまいましたがあと1回だけ続きます。

ヴィジュアル系から学ぶべきこと(2)

前回、V系とは音楽ジャンルを表す言葉ではない、というところで終わりました。

実際現在のV系シーンは定番のハードロック、メタルはおろか、パンク、ミクスチャー、ヒップホップまで音楽は様々で、共通項はただ「V系らしい外見」だけです。

ではV系らしい外見とは何でしょう。X(X Japan)が登場したV系黎明期においては、メイクにしてもいわゆるLAメタルと大差ないものでした。しかしその後シーンが確立されていくにつれて方向が変わっていったようです。女装が流行した時期、ホストじみたスーツ姿が流行した時期、等身大のフランス人形のような姿が流行した時期もありました。

そして現在では、それらのどれでも構わず、またその影響が垣間見えれば違うアプローチをしても構わないようです。ゴールデンボンバーなどはその代表でしょう。メイクや髪型はいかにもV系でありながら服装は芸人であるかのように外してきます(まぁ事実として彼らはミュージシャンというより芸人と思いますが)。そのぐらいいい加減でも「V系らしさ」が成り立つというのは、逆に言えばその「V系らしさ」が定着したということで、文化様式として成熟の段階にあるとも言えます。

ところで多くの先人がいたロックシーンの中で生まれたV系が、異端と呼ばれ時には蔑まれながらも、なぜジャンルを超えシーンそのものを圧倒するほどの発展を見せたのか。これは逆説のようですが、V系の要件が「V系らしい外見」だけになったこと、それ自体が理由だと思います。

つまりV系とはそもそも最初から音楽性を指す言葉ではなかった。そのことに、シーンの発展の中でオーディエンスが気づいた。その出自がロックだったのは単に時代的な偶然に過ぎず、そもそもロックがその発祥である必要はなかった、というのが僕の見解です。解説していきます。

V系が登場したのはハードロック/メタルシーンの中からです。アメリカにおけるそれらのシーンで、奇抜なメイクや髪型、派手なパフォーマンスが常態化していたこともあり、それがV系らしさ、V系特有の美意識と親和性が高かったために「たまたま」ロックシーンから産声を上げたのだと考えています。

誕生前の段階で「V系特有の美意識」と表現したことに違和感を持つ方もいるでしょうが、そもそもこの美意識とは、ヴィジュアル系という言葉が誕生する前からあったものです。

もっと言ってしまえば、V系とは、古来から日本人が持つ民族性の一部です。

古くは能や歌舞伎、浮世絵、近年では漫画やアニメ、いずれにしろ日本発の文化には「極端なディフォルメ」を好む傾向があります。アメコミ等も子供向け作品では極端にディフォルメしますが、対象年齢が上がるほどヴィジュアル的にリアリティを求めるようになります。しかし日本文化はそうはしません。極端なディフォルメを行った以外の細部にこだわるのが日本文化の方法論で、それはつまり「日本人は細部にしかリアリティを求めていない」ということです。

意味が分からない、という方も多いでしょう。例を出します。

「攻殻機動隊」というマンガがあります。アニメ化、映画化されているのでそちらで知っている方のほうが多いかもしれません。いわゆるサイバーパンクSFで、現状とうてい不可能な、しかし既にあるものの延長線上のテクノロジーが一般化した社会を舞台に、そこで起こりうる犯罪や社会問題をテーマに警察組織が事件を解決していく、という筋書きです。なお詳しく知りたいなら自分で読んで(観て)ください。

その舞台を実現するためのテクノロジー、またそれを前提とした社会問題については非常に緻密に考えられており、本当にそういう時代が来ても何ら不思議ではない、と思わせる説得力があります。しかし一方で、その作中人物については全く持ってステレオタイプな、作品の都合に合わせてディフォルメされた薄っぺらい造形で、およそ感情移入できるような代物ではありません。文学評論にありがちな言葉で言えば「人間が書けてない」のです。

しかしこういう作品を「リアリティがある」と感じるのが日本人のメンタリティです。

つまり問題は「人間性にリアリティがある」ことではなく、「世界観にリアリティがある」ことなのです。まず世界観ありき、そしてその世界観にふさわしい人物造形をする、これが日本的リアリティです。

もうお分かりでしょうが、V系とはまさに「まず世界観を確立し、そこにふさわしい人物造形をする」表現形態です。人物そのものにリアリティがある必要はなく、世界観のリアリティを補強するためにこそ人物がある表現です。

するとアンチV系からよく耳にする「V系なんてリアリティのない表面だけの表現じゃねぇか」的な物言いは全く的外れであることが分かります。むしろ逆で、V系とは日本人一般の求める世界観を体現(リアリティを与える)する、オーディエンスとの上質なコミュニケーションなのです。ライブハウス等生演奏で「俺が本物のロックを見せてやるぜ!」みたいな人に限ってオナニーにしか見えないのはそういう理由です。その手の人たちはオーディエンスが何をもってリアリティとするかが分かってないのだからコミュニケーションなんて出来るわけがないのです。

さて結局の所V系とは日本人の民族性に沿った表現形態であり、かつ日本人に限らず女性一般の「外見のキレイなものが好き」な性質を鑑みれば、V系の登場と隆盛は必然です。何ら不思議なことはありません。

と、V系の必然性について語ったところでまた長くなりすぎたので続きます。

ヴィジュアル系から学ぶべきこと

初めに言うと僕はこれまでヴィジュアル系(以下V系)バンドをやったことがないし、おそらくこれからもないでしょう。
正直なところ文化的にそれほど興味があるわけでもありません。可能性的にまだまだ出来ることはあるでしょうが、そこに積極的に関わろうとも思いません。
一度ぐらいやっておけばよかったとも思いますが、そもそも僕はもういい歳のおっさんなので、仮に今やろうとしても大変な無理があります。
V系のライブを観に行ったことも数えるほどしかありません。これは今後増えるかも分かりませんが。

しかしそれでも日本の(非V系の)バンドマンは、少なくともいわゆるプロ志向であるなら、V系から多くのことを学ぶ必要があると常々思っています。
なぜなら「売れる」ことに対する意識、覚悟が違いすぎるからです。

プロ志向でバンドをやるということは、ベンチャーで起業するようなものです。
もちろん「プロ志向」を名乗る上で面倒な手続を踏む必要はないし、言ったもの勝ちみたいなところがあるので厳密には違いますが、売れることを一つの目標とするならそれはビジネスとして考えなければいけません。
twitterやtogetterまとめでも何度も言ってるのですが、「良い音楽をやっていれば勝手にお客さんはついてくる」なんていうのは幻想です。ごく一部の強運に恵まれた人たちだけの話です。そんなものをアテにしている時点で「プロ志向」とは呼べません。
まぁもし自分が鷲巣様のような剛運の持ち主であると思うならそういう人は勝手にやればいいと思いますが。

さてビジネスとして考えるなら、売れるためには「需要のあるところで勝負する」か、「需要を作り出す(これをイノベーションと呼ぶ)」かのどちらかです。
需要を作り出せるほど才覚のある人ならそれをすればいいでしょう。ただそれを出来る人は人類の2.5%ほどだと言われています。
すると現実的に考えるなら「需要のあるところで勝負する」ことになります。

では音楽、とりわけここでは主に生演奏でプレイされるロック/ポップスに絞って考えますが、それらに需要はあるでしょうか。
無くはありません。CDが売れない売れないといってもちゃんと売れている人たちはいるし、大型フェスには毎年数万人単位で人が集まります。
つまり音楽だけで食える人はごく一部にしても、副業程度の収入源となっている人たちはそれなりにいるわけです。
そしてここに落とし穴があります。

現在V系を除きプロ志向で音楽をやって収入とすることは、大規模フェスに出ることとほぼイコールとなっています。なぜならマスメディアが効果的な宣伝媒体として機能しなくなった近年では、「既に売れている人たちと同じステージに立っている」こと以上に効果的な宣伝が存在しないからです。
(実は他のやり方で食えている人たちもいるのですが、それはまた別稿で)
すると重大な矛盾が生じます。

フェス主催者は良い音楽をやる人を優先して出演させたいのでしょうが、その出演者を決めるのも人間です。であれば音楽の良い悪いとは別に、主催者の好みに沿った音楽が優先されてしまうのは当然と言えます。また興行的に売れている音楽をある程度まで優先するのも必然でしょう。
ということは、「売れるためにフェスに出ることを目指すなら、その主催者が気にいるような音楽、或いは売れやすい音楽を目指す」ことになります。また大型フェスが定着した現在ではその客層もそれぞれ分化が進んでおり、ますます「そのフェスの客層に合った音楽」でないと出演が難しくなっています。ロキノンはその典型例でしょう。

自分のやりたい音楽が、まさにその気に入られる音楽であれば何も問題はないでしょう。しかしそうでないなら、売れるために、出たいフェスに合わせて
「やりたい音楽を曲げないことには先に進めない」
という状況に陥ります。普通は「やりたいことをやる」ために音楽を始めるのですからこれは大変な矛盾を突きつけられることになります。

結局のところ、大型フェスはアマチュアミュージシャンに夢を与えましたが、しかし「良い音楽を追求するだけでは売れることはできない」という日本の音楽シーンが昔から抱えている問題を解決するには至らなかった、というのが僕の見解です。
なおフェスにまつわる問題点についてはまだいろいろ言いたいことがあるのですが、ここでの本題ではないので別稿に譲ることにします。

だいぶ前置きが長くなってしまいました。
既に触れましたが、V系シーンにはフェス信仰とは全く別の力学が働いています。
もちろんV系にはV系のフェスが存在しますが、それは売れるための登竜門というより売れたバンドを集めたお祭りなので、他のフェスとは存在理由が根本的に違います。
それを語るためにはまず、V系の定義を明らかにしなければならないでしょう。

ご存知の方も多いでしょうが、V系とは音楽ジャンルを表す言葉ではありません。メイクや衣装、ステージングや歌詞がいわゆる「V系らしい」もっと言えば「V系好きな女子(通称バンギャ)」に好まれるものであれば何でもいいのです。
定義になってねぇじゃねぇか、と言いたい方も多いと思いますが、これが実情なので仕方ありません。
そしてそこにチャンスを見出した若手バンドが増えています。繰り返しますが、V系とは音楽ジャンルを表す言葉ではありません。
それが何を意味するか、この時点で僕の言いたいことに気づいてる方もいるとは思いますが、前置きが長すぎたので続きます。もう少しお付き合いください。

次回、まずは「V系の登場および隆盛は日本において必然であった」ということから進めていこうと思います。