ライブハウスのプライド(4)

このシリーズも4回目になりました。
正直なところ言いたいことの大部分は1回目で言ってしまったのですがもうちょっと続けてみます。

さて前回、料理店の例え話の最後、いくつかの選択肢が出てきました。
一つは「客寄せなど放棄して、最高の料理を出すことだけに専念する」
次に「少ないながらも常連客はいるのだから、現状のまま細々とやっていく」
そして三つめ、書きませんでしたが皆さん見当は付くと思います。
つまり作業コスト、従業員の教育コストの増加を承知で「接客サービスの質を上げる」です。

上記の選択肢をライブハウスに置き換えてみましょう。
一つめは「こだわり抜いた機材と腕のいいPAスタッフの手で素晴らしい音質のライブが観れるものの、店内は汚く、チケットは高く、従業員の態度は悪く、フードメニューも無い」ハコです。
二つめは「チケットは若干安く学割もあり、ホームページの視聴コンテンツが充実し、フードメニューも充実しているものの、機材の質、PAの腕は若干落ち、店内は汚く、従業員の態度は悪い」ハコです。
三つめは「チケットは若干安く学割もあり、ホームページの視聴コンテンツが充実し、フードメニューも充実しており、店員は親切で店内には清潔感があるものの、機材の質、PAの腕はさらに落ちる」ハコです。

もちろん四つめの選択肢として「こだわり抜いた機材と腕のいいPAスタッフの手で素晴らしい音質のライブを観ることができ、チケットは安く学割もあり、ホームページの視聴コンテンツが充実し、再入場も自由でフードメニューも充実している上に店員は親切で店内には清潔感がある」ハコというのも考えられますが、これは少なくとも首都圏ではテナント料の関係で不可能だと思います。莫大な資産の持ち主が道楽でやるというならともかく。

参考までに、今年オープンした「ヒソミネ」というハコがあるのですが、「清潔感のある店作りおよびUst配信やフードなど各種サービスを充実させる一方、キャパは5~70人程度の狭さでいい」というコンセプトにも関わらず、高いテナント料のために都内でオープンすることを諦めた経緯があるそうです。

というわけで、全てを理想通りにはなかなか出来ないのですから何かしら犠牲にせざるを得ません。この「ヒソミネ」の場合は「都内で営業すること」と「店の大きさ」を犠牲にしたわけです。もっともこのハコの場合、大きさについては「100人キャパの必要なバンドはそんなにたくさんいない」という判断を以てあえて狭い場所を選んだとも聞いているので、その点に関しては必ずしも犠牲にしたとは言えない面もありますが。

話を戻し、僕の主張する選択肢はもちろん三つ目となります。
僕もバンドをやっているので、そりゃあ良い機材、良い音質でライブをやりたいと思います。しかし「ライブは観てみないと分からない」のだから、「どうしたら観に来てくれるか」を考えなければならないし、お客さんに「そのライブを観てみたい」と思ってもらわなければ始まらないし、そして観てもらった後「またここでライブを観たい」と思ってもらえなければ困ります。

お客さんに「このハコ感じ悪いからもう来たくない」と言われたなら、出演者が頑張って呼んだお客さんに「少なくない金と時間を使わせた上に不愉快な思いをさせた」ことになります。楽しんでもらいたくて呼んだ以上、それは何よりも避けなければいけないはずです。

ならば「ライブハウスの客はバンド(出演者)じゃない、バンドが連れてきたお客さんだ」という認識を持つべきで、当然ハコのスタッフには「接客業としての意識」が必要になるわけです。
「ビールが不味い」と言われたならせめてサーバーの洗浄ぐらい毎日やって欲しいのです。
ドリンクの注文を受けたら「ありがとうございます」の一言ぐらい言って欲しいのです。
実際のところ「ライブハウスのプライド(2)」の例に出て来た飲食店のように埃が積み上がっているハコは滅多にないでしょうが、来店したお客さんに、雰囲気の段階で「なんだか薄汚いところだなぁ」と思われてしまったら同じ事です。ちゃんと掃除されているだけでは不充分で、清潔感があるかどうかが問題なのです。
それとも「そんなのはライブハウスの役割じゃない」のでしょうか。ではお客さんに面と向かって「音質は最高なのだからその他の不備については我慢してくれ」と言えるのでしょうか。

ところで「ライブハウスの役割」とは何でしょう?
或いは「ライブハウスでなければいけない理由」、別の言い方をするなら、ライブハウスとはどのような意味で「特別な場所」なのでしょう?

1・ヒットチャートに現れない、けれど凄い音楽やライブショウを観ることの出来る場所。
2・家でCDを聴いたりDVDを観たりするのとは違う、迫力のある生演奏を味わえる場所。
3・それらに特別な価値を見出す人々が集まる場所。
といったところでしょうか。
なるほど否定出来ません。僕自身なんだかんだ言って、ライブハウスが嫌いなわけではありません。だからこそ「本当にこのままで良いと思ってるの?」というのが本心です。

僕が問題にしているのは「ライブハウスが特別な場所であり続けるために、何が必要か」についての見解、そのハコ側の視点とお客さん側の視点の相違についてです。
僕は先に書いた通り「接客業としての意識を持って欲しい」と思っています。何故なら、まず上記1と2については結局のところ出演者の責任で、そのためにハコが出来ることは限られているからです。
機材がどうの、PAの腕がどうのといったところでそもそも出演者の力量/パフォーマンスが低ければどうにもならないのですから。
一方3について、集まった人々が「そのハコ」を気に入ってくれるかどうかは、そのハコの居心地が良いかどうかが問題です。集まったお客さんが「またこのハコでライブを観たい」と思わなければ、他でもない「そのハコ」の存在する意味がありません。
「同じイベント内容ならどこでもいい」と思われたなら、そのハコの存在意義はないのです。

しかし残念ながら多くのハコのスタッフたちは「ライブハウスは特別な場所なのだから、敷居が高くなければならない」と考えています。ハコ側のみならず、ときには集客に悩むバンドマンですらそう考える人たちがいます。
これには歴史的経緯が関係しているので少し複雑ですが、次回はその件について出来るだけ簡単に解説したいと思います。

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