「歌う」ということ(2)

予告通り今回はボーカルに留まらず「歌うということ」について考えていきます。

前回「ある意味で正確さを欠いた歌を、魅力的に聴かせる」と述べました。
しかしそうなれば、疵を持った歌がなぜ人間にとって魅力的に響くのかを考えなければなりません。つまり前回述べた「正確さの外側」には、いったい何があるのか?ということです。

先に個人的な見解を述べてしまうなら、「歌う」とは単に時間軸に沿って音を並べることではなく「連なった音に意味を持たせること」ではないかと考えています。つまりこの意味においてメロディラインを声に出す(奏でる)だけでは歌ったことにはならず、最低限「そのメロディである動機」が伴わなければならない、ということになります。それがどれほど美しいメロディであったとしても「美しいメロディを声に出した」に過ぎず、「美しい歌を歌った」ことにはならない、と僕は思うわけです。

なので余談ですが、ボカロ曲においては作曲者にとってそれが歌であったとしても、いかに調教が上手かろうとボーカロイド自体は「歌っていない」という立場を僕は取りたいと思います。よって僕は「ボカロは歌じゃない」という意見は否定しません。一方過去にも述べた通り「歌として扱われる」ことも否定しませんが。

話を戻して、正確さを欠くことによって新たな意味がもたらされた場合、もしくは何らかの動機をもって正確さを欠いた場合においてそれが魅力的に響く、ということの典型的な例としてはブラックミュージック由来のいわゆるブルーノート、またギタープレイにおけるクォーターベンドなどがあります。
しかしご存知の通りそれらが常に機能するわけではありません。理論的なアプローチであれ感覚的なものであれ、或いは好きなミュージシャンへの憧れであれ、プレイヤー自身に「そう歌う動機、もしくは必然性」、もっとくだけた言い方をすれば、楽曲やメロディに対する「ふさわしさ」が伴わなければ、それは魅力的な歌にはならないのだと僕は考えます。

そしてこれは超絶技巧を売りにした歌(演奏)がしばしば非常につまらなく聞こえる理由でもあります。長年、数多くの音楽に触れていれば「お前が巧いことだけは良く分かった」と言いたくなる音楽に出会った経験は多くの人にあるのではないかと思います。
極めて技巧に優れ表現力にも長けていながらなお「つまらない」プレイというのは、結局それが「楽曲にふさわしい意味を持たせること」を出来てないからではないでしょうか。まぁプレイヤーの演奏技量そのものを楽しむ、という音楽の楽しみ方も全面的に否定はしませんし、その「ふさわしい意味」をもたらすにあたって充分な技量を備えている必要はもちろんあります。しかしその楽曲を選んだ理由、そのフレーズや歌い方である意味が感じられない歌(演奏)では、その力量すらもかえってあざとく感じられるように僕は思います。

ということから、「正確さの外側」にあるものとは「その音楽が、その形として存在する意味」であると僕は主張したいと思います。当然ながらあえてシステマティックに歌うことによって意味づけを為す場合もあり得るでしょうし、また正確さの外側にある意味を、卓越した技量を持って正確に表現するということもあるでしょう。前回少し触れた「ヘタウマ」というのも、その意味を表現する能力において「巧い」のかもしれません。
そして正確さの外側を歌うことが音楽に意味を与えるのだとすれば、しばしば言われる「音楽に命を吹き込む演奏」というのも単にプレイヤーのエゴや自己主張を押し出すことではなく、それらを通じて音楽に意味を持たせる、すなわち「歌わせる」ことだと言えるでしょう。

そう捉えると「歌う」或いは「歌わせる」ということには、単に楽曲をプレイするということを超えた意味が現れてきます。つまり作曲・アレンジ段階での各パートのフレーズやコード選び、構成の考え方やノリ作りなども、音楽に意味を与える行為として広義においては「歌う(歌わせる)こと」となるわけです。
なのでここではそれらの音楽行為そのものを「人間ならではの歌」と結論づけたいと思います。

またさらにこうして突き詰めると、歌の良し悪しとはボーカリストの問題どころか楽器演奏の問題すら超えて、音楽の良し悪しそのものと密接に関係していることになります。
今回の内容は少し抽象的に過ぎるかもしれません。しかしこれから良い音楽を作りたい、演奏したいと思う方は、その演奏、アレンジ、さらには楽曲そのものを含め、その音楽が「歌っているか」さらには「どのように歌っているか」と意識しながら取り組んで欲しいと僕は願っています。

音楽の良し悪しを決めるのはその意味に思いを馳せることの出来る人間である以上、音楽を美しく歌わせるのもまた、その美しさに意味を与えることの出来る人間なのですから。

この件は以上です。

「歌う」ということ

バンドマンでありながらたびたびボカロを推奨している僕ですが、別にボカロが人間のボーカルを駆逐するとは思っていません。
むしろ最終的には、ボカロが人間の代役になれないことが証明されると考えています。
まぁテクノロジーを担う方々からすればそれは楽観的な見方と思うかも分かりませんが、少なくとも現時点で僕はそう思っています。

一方で、プログラムが人間に近い歌(のようなもの)を鳴らせるようになったことで、機械のようにしか歌えないボーカルの価値が下がることは確実です。
「機械のようにしか歌えない」というのは、正確なピッチ、テンポキープ、広い音域、そういうシステマティックな部分にしか売りがないボーカル、という意味です。そういう種類の正確さであれば、それこそプログラムにやらせたほうが得意に決まっているのですから。

なるほど人間のほうが融通は利くし面倒な入力の手間も省けるのは確かです。しかしボカロが実用化済みのテクノロジーである以上その進化は単に時間の問題と考えるべきでしょう。スマホにダウンロードしたAndroidアプリでちょっとした空き時間に歌メロを作成し、クラウドでPCと共有して細かい作業は後で…そんな時代が数年後に訪れたとしても何ら驚くべきことではありません。
さらに言えば、鼻歌で作ったメロディを楽譜に起こしてくれるアプリなんてものが既にある以上、こういった楽曲制作の手間を簡略化してくれる技術が今後どんどんボーカロイドエディタに導入されていくと考えるのが自然です。

つまり「ボカロに歌わせる」ことの敷居がどんどん下がっていくのは必ず訪れる未来なので、人間のボーカリストとしては「ボカロに出来そうにないことは何か」を考え、取り組んでいくべきでしょう。
前置きが長くなりましたが、これが今回の主題です。

具体的には何があるでしょうか。

・必ずしも正確ではない、人間の演奏に合わせて歌うこと。
これは難しいでしょう。精度を問わなければある程度追随する技術は可能かもしれませんが、人間同士のプレイではしばしば相手の呼吸に合わせたりアイコンタクトなどによる即興が生まれたりするし、クセの分かる相手とプレイする際にはある種「先読み」のようなものでノリを作る場合もあります。それこそジャズのフリーセッションなどにおいては、そういった能力に長けてないとそもそも音楽として成立させることすら難しかったりします。

・感情を込めて歌うこと。
これは作り手の技術によって「演技させる」ことは可能かもしれません。しかし同じ感情を込めて歌おうとしても、その時の気分や環境、体調などに左右されるのが人間です。なので「込めたい感情を、正確に込めて」歌うことはむしろ「人間のように感情を込めて」歌うことにはならないわけです。そのような揺らぎをプログラムに(しかも人間が聴いて心地良いように!)持ち込むのは、絶対に不可能とは言わないまでも相当に難しいのではないでしょうか。少なくとも感情なるもののなんたるかさえ解明されたと言えない現在においては、ちょっと目処が立ちそうにありません。

他にも例は挙がりそうですが、結局のところ「ある意味で正確さを欠いた歌を、魅力的に聴かせる」こと、これが「人間ならではのボーカル」の目指すべきことなのではないでしょうか。

もちろん正確に歌う必要がないという意味ではありません。ピッチもリズムも良いに越したことはないですし、例えばクラシックの声楽などにおいては技術的にそこがクリア出来てなければスタートラインにも立てないでしょう。
しかしここで言いたいのはそういうことではなく、「人間が歌う意味は、正確さの外側にある」ということです。これは高い技術が当然のものとして要求される声楽やジャズにおいても同様のはずです。
ポップミュージックにおいても、とりわけロック系に顕著ないわゆる「ヘタウマ」の面白さというのは、技術の未熟さを補って余りあるほど「正確さの外側」の魅力を追求していることにあると思います。

よく「下手でも自分らしさが出てればいい」みたいな発言を聞きますが、これは多くの場合勘違いで、その「自分らしさ」に魅力がなければただの下手クソに過ぎないわけです。別の稿でも述べましたが、「オリジナルであること」それ自体に価値があるのではなく、そこに替えの利かない魅力があればこそのオリジナルです。

ではどうやって「替えの利かない魅力」を生み出すかですが、これはこの稿の終盤で述べたように「その音楽がなぜその形でなければならない(その形であるべきな)のか」、この場合「なぜそう歌わなければならない(そう歌うべきな)のか」という意思や信念、価値観や哲学が反映されていることが必要なのではないか、というのが僕の見解です。

そんな小難しいこと考えなくとも良い歌を歌える優れたボーカリストがたくさんいることも承知していますが、そういった人たちにも一度ぐらいはこの件について考えてみて欲しいものです。

ただ歌うのが楽しいだけならカラオケに行けばいいのですし、オリジナルソングで歌いたいだけならスタジオでやればいいのです。人前で表現の是非を問う以上、自分の表現がどんなものであるかを自覚する必要はあると僕は考えています。
もちろんこれはボーカルに限らない話になるわけですが、またその一方で「フレーズを歌わせる」とよく言うように、「歌うということ」は実はボーカル以外のパートにおいても大事な問題です。

なので次回はボーカルに留まらない範囲に踏み込んで考えていきたいと思います。

初心者向けバンド講座(改訂版)-完結編

そろそろ、主にプロ志向へ向けた生臭い話をしようと思います。

繰り返し述べている通り、プロ志向を名乗る以上は金の話を避けることが出来ません。
というよりも、金の件を真剣に捉えないことを「なかなか売れないことの言い訳」として使っているバンドマンが大半なのが現状です。

ほとんどの人は金を目的に音楽をやっているわけではないとは思いますが、しかし前々回述べたように「金を払ってでも見たい(聴きたい)」からこそお客さんは何度も足を運んでくれる、繰り返し聴いてくれるわけです。

「金を取る」ということに対しある種の背徳感を持つ人が多いようですが、顧客満足に正当な対価を払うことは消費社会である以上当然です。それは決して搾取ではなく、金を受け取る側は作品の質に対し、また顧客はその享受に対し、それぞれ責任を取るということでしかありません。

なので見方を変えれば、いわゆる「嫌儲」は単に自分の作品に対して自信がない、責任を取りたくないことの裏返しであるとも言えます。もちろん社会制度への論点まで含めた思想哲学をもって嫌儲を貫くというならそれはそれで筋が通るわけですが、それはここで語るべきことではないので考えないこととします。

ではここから「金を取る」ことを前提とした話に入っていきます。
まず作詞・作曲のクレジットについてですが、作詞はともかく、作曲に関しては出来るだけ「バンド名義」にしたほうが良いと思います。全パートを一人で作って全て自分の言う通りメンバーに演奏させてるというならともかく、バンドの場合たいていは、メンバーそれぞれの意向が加わって初めて曲が完成するからです。

「アレンジはバンド名義にしてる」という人たちが多いと思いますが、これだと全メンバーが曲を書ける場合を除いて、印税が発生した際の収入に大きく差が生まれます。そして残念ながら、収入格差を理由に解散したバンドは数えきれないほどあるのです。

メインソングライターからしてみれば「おれが一番頑張って曲書いてるのに」と思うかもしれませんが、その言い分は「おれの印税収入のためにメンバーみんな協力してね、おこぼれぐらいあげるからさ」と言い換えることも出来るわけです。
どうしても自分ひとりで権利を持ちたいなら、メンバーを単なるサポートとして雇うことも視野に入れるべきと僕は考えてます。

納得いかない人も多いでしょう。しかしメンバーを苦労して探した頃、また思うように集客が伸びずステージで寂しい思いをした頃を思い出してください。みんなの協力でやっとバンドを始め、知恵を出し合い散々大変な思いをした末にようやく軌道に乗ったら「美味しいところ全部自分取り」では、メンバーが不愉快になるのは当たり前です。
お客さんとの関係において収入は「商品に対する顧客満足への対価」ですが、バンド内においては「苦労した思い出に対する対価」でもあるわけです。

そのソングライターがリーダーでもあり、圧巻の才能を持ち誰よりも努力し、ライブショウの見せ方も営業戦略も含めバンド内の全てをコントロールして「自分の力で売った」というならそれもまた正当な対価であると言えますが、正直そこまで強力なリーダーが滅多にいるとは僕には思えません。

もちろんメンバー全員で話し合った結果として、「作曲印税は作曲者に帰属する正当な権利」だと判断したなら僕がどうこう言うべきことではありません。とはいえこの件は売れてからモメるのは非常にみっともないので、プロ志向と決めているなら早めに話し合うことをオススメします。

なお作詞作曲をバンド名義にした場合に、そのバンドが解散後に新たに組んだバンド、或いはソロでその曲を使いたいという場合、著作権の所在や支払うあるいは貰うお金の勘定ってどうなるのか?という問題はもちろんあります。
この場合は解散後、本来の作曲者以外のメンバーに対し楽曲の諸権利を放棄する旨の契約をしてもらうことになるでしょう。
そこでメンバーがゴネて訴訟に発展したら非常に面倒なことになりますが、これは要するに活動中に金でモメるか解散後に金でモメるかの選択でしかないわけです。繰り返しになりますが、僕はせっかく売れてきたバンドが金でモメて解散するのは大変みっともないと考えてます。バンドは可能な限り全員が楽しく、不愉快にならないよう活動するべきだというのが僕の基本的な考え方です。
一方「権利は自分で持ちたいけど金の話でモメるのが嫌だから話し合いたくない」というのは単純にセコいのではないでしょうか。

バンドで音楽をやって生きていきたいということは多かれ少なかれ「カッコいいことをやって生きていきたい」ことでもあると思うので、生き方がみっともなくなるのは避けて欲しいものです。

何度でも言いますが、金の話をするのが嫌ならプロ志向を名乗るのをやめてください。プロ志向のバンドということは、そこから対価としての収入を得たいという意味が必ず含まれるので、金の話はせざるを得ないのです。バイトを探すときには仕事内容だけでなく時給や交通費を気にするのにバンドでは考えないというのは筋が通らないのですから。

さて次に、実践してるバンドも多いと思いますが、プロ/趣味志向を問わず長く続けるつもりのあるバンドは、メンバー全員でバンド貯金をしたほうが良いでしょう。音源やPV作り、Tシャツやステッカー等グッズ作りと、バンドを続けるにはいちいち金がかかります。

そして若いバンドマンで金に余裕のある人は少ないでしょうし、その中でも一人一人環境や事情は違うので、いざバンドとして金が必要になったときに全員がまとまった金額を即座に用意できるとは限らないからです。

その必要なときに持ち合わせがないからといって急遽借金し、返済のためにバイトを増やしてバンド活動のペースが乱れた、というのでは本末転倒です。一人月に1000円、2000円とかでもいいので協力してコツコツ貯めましょう。
バンド専用の口座を作るのでも金庫を用意するのでもいいですが、大事なのは「全員が中身を見れるようにしておく」ことです。帳簿は面倒でも必ずつけてください。たとえ少額でも金でモメるとケンカになりやすいので、メンバーを信用してるならなおさら可視化しておきましょう。

もちろんライブのギャラや物販の売上もこの貯金に入れます。音楽で食うまでには至らなくても、活動費用ぐらいはバンドからの収入で賄えるようにしたいものです。個人的には、大っぴらにプロ志向を名乗るならそこまではクリアして欲しいと思っています。つまりプロ志向のバンドにとってはここが最初に目標とすべき地点ということになります。

さらに踏み込むと、音源やPV制作などのスケジュールもバンド貯金との兼ね合いで決めていったほうが良いでしょう。メンバー誰かに無理を強いた結果、日常生活に支障をきたしての脱退や解散を避けるためです。
メンボでよく「バンド中心に活動できる人募集」というのを見かけますが、バンドに時間も労力も集中しすぎて家で気持ちよく音楽聴く時間も取れない、というのでは結局バンドも成長しません。もちろん、時間を作るために睡眠を削りすぎて身体を壊した、なんていうのは問題外です。

なので、個人個人の生活とバンド活動のバランスを取るためにもバンド貯金は必須だと思ってください。以前にも書きましたが、売れる見込みも立っていないバンドで楽しさより苦労のほうが大きくなったら終わりなのです。

なお権利関係などを自分たちで全て管理するのは負担が大きすぎるというなら、このようなサービスを利用する手もあります。 【ミュージック・クリエイターズ・エージェント】カウンセリングは無料ということなので興味ある人はどうぞ。

こういうサービスの需要は、今後メジャーレコード会社の凋落が進むにつれてどんどん高まっていくでしょう。個人的に現在の音楽業界の状況は歓迎すべきものと思っています。だからこそ尚更、音楽に自信のある人ほど、安心して活動する為のマネジメントをないがしろにして欲しくないのです。

さて金の話に関連して、営業・広報活動についても述べようと思います。良い音楽さえやっていれば勝手に誰かが見つけてくれるということはまず無いと思って間違いないので、知らない人たちに自分たちのバンドについて知ってもらう方法を考えなければなりません。

まず出会った人にすぐ渡せるように、バンドのステッカーと、出来ればバンド名と試聴URLの入った名刺をメンバー全員が持ちましょう。「名刺 格安」とかでググれば安く作れる業者がたくさん出てくるはずです。デザインのできるメンバーがいるなら自分たちで作ってしまう手もあります。

これらは100枚配って1人が興味を持ってくれればいい、ぐらいのつもりでとにかくバラまきましょう。職場の同僚、友人、誘われた飲み会などなんでも構いません。「畑違いの人に配ってもしょうがないし」とかこの段階では考えないでください。まず存在を、自分がバンドをやっているのを知ってもらわないことには何も始まらないのです。

それからフライヤーです。これにはライブ予定と試聴URLの他に、バンドの簡単な紹介文やキャッチコピーなどを入れます。どんなバンドかも分からないのに知らない人が興味を持ってくれることはあり得ないからです。

なおメンボ作りの段階でも述べましたが、まともな文章が書けないことには言葉で何も伝えることが出来ません。なので最低1人は充分な国語力を持つメンバーが欲しいものです。もし1人もいなくて、かつ国語の勉強もしたくないというなら文章専門のスタッフを雇うことも検討してください。

フライヤーは練習スタジオの掲示板に貼ったり、ライブハウスの折り込みチラシとして使います。とはいえこれを見てライブに来たり試聴してくれる人は、基本的にいないと思ってください。
「こういう名前の、そしておそらくこういうジャンルの、バンドが存在する」ということを知ってもらうだけで充分です。
「これ見て客が来るわけじゃないなら文章力関係無くね?」と思うかもしれませんが、ライブを観られもしない、音源試聴もされないうちに文章のまずさで悪印象を与えてしまったら、いずれ来てくれるかもしれないお客さんを知らないうちに逃していることになります。
「社会性の低さを音楽の力で克服したい」というのは確かにロマンですが、その音楽に触れてもらう前に否定されてしまったら元も子もありません。

口うるさいのは承知していますが、プロフィール文や歌詞も含め、バンドマンの国語力平均はギャルを笑えないぐらいにひどいと昔から僕は思っています。歌詞の件でも言いましたが、言葉で何かを伝える必要のある人は、まず本を読んでください。

ところで少し脇道に逸れますが、音楽に限らず日本の文化的成熟度が低い背景には「芸術家志望≒生活力のないダメ人間」との偏見を持たれがちな面があると思っています。そして事実バンドマンにはそういう人が多いので、そのやっている音楽がバンドマン以外の人からなかなか敬意を払われないのは当たり前です。

「いや作品が良ければ人間性は関係無いだろ」と思う人が多いでしょうし僕も本当は否定したくないのですが、事実として人間は、とりわけその大部分が権威主義者である日本人は「その作品が何であるか」より「誰がその作品を作ったか」を重視しがちなので、残念ながら関係無くはないのです。

本題に戻ります。ステッカーやフライヤーといった伝統的な方法以外にも、現在であればやはりSNSを活用したいものです。とはいえ既にmixiは死に体(V系や歌い手の人たちはまだまだ活用していますが)、リア充専用と揶揄されるFacebookは正直言って日本で定着すると思えないので、当面のところ僕はTwitterをメインに使うことを推奨します。
これにYouTubeやニコ動、Ustreamを導線を研究しながら戦略的に組み合わせ、まずはいかに試聴/動画サイトに人をつれてくるかを考えましょう。

もちろん余裕があるならFacebookにmixi、さらにはブログや身近な人向けにLineも使ったほうが良いのは間違いありません。

さて広告費に大金をかけられないアマチュアバンドマンにとって、最良の宣伝は口コミです。そしてTwitterというメディアは端的に言って可視化された口コミなので、これを使わない手はありません。
実際の手順としては、知人友人にバンドの褒めツイートをしてもらい、それをRTした後すかさず自分のバンドを宣伝。また音源リリースや自主企画の直後、その件について出来る限りの知人を動員し呟いてもらい、togetterにまとめて拡散するなど。ステマ上等。

また面白いことを言える自信があるなら、ネタツイートにバンド関連のURLを貼り付けるのも有効です。実際にこれで話題になり、まだ売れてないにも関わらず数千人のフォロワーを集めたバンドもいます。

なおこれらはバンドアカウントや自分のメインアカウントで全てをやると、あざとさの余りかえって反感を招く恐れもあるので「ほどほどに」宣伝する為の別アカウントを持つのが良いかもしれません。出来ればメンバー全員がメインアカウントと別に宣伝用アカウントを持ち、さらにTwitter専任スタッフを雇えれば万全でしょう。

またTwitter専任と限らず、広報・宣伝の全てをメンバーがやるのはかなりの労力を使うので、その為のスタッフを早めに探したほうが良いと思います。たとえ趣味志向であっても、自分たちの音楽を広く聴いて欲しい、ライブに来て欲しいと思うのであれば同様です。

ところでこれはプロ志向バンドへの話なのですが、ライブハウスで良く見かける光景として、それなりに動員数があろうとも、客層のほぼ全てが仲間のバンドマンであるという状況のうちは、まず売れる見込みがないと思ってください。
もちろん来ないより来たほうが良いに決まってるし助かるのですが、多かれ少なかれその背景には「お互いに助け合おう」という考えがあるので、純粋に好きであるという理由だけで来てくれるお客さんは、その場合ほぼいないも同然です。そして演者でないお客さんを巻き込めないバンドが売れることは原則としてありません。

理由は単純に、充分な収入が得られるほど売れた際には、そのお客さんの大部分が演者でないからです。良い曲、良いライブをやっていようとも、その魅力がバンドマンにしか分からないものであるうちは一般層を巻き込んで売れるはずがないのです。

なのでこれはかなり冷たい言い方かもしれませんが、ライブに来てくれる仲間のバンドマンは、バンドのお客さんではなく、互いの広報スタッフの一員である、ぐらいの認識でいたほうが妥当だと思います。ということを踏まえた上で、先述の宣伝戦略を互いに協力しながら行うのが良いでしょう。なお今更ながら言うと、お客さんがいなければ収入も発生しないので、金の管理と宣伝・広報は一体のようなものです。スケジュール管理と共に時期を決めての集客目標、さらには収入目標もバンドの活動計画に組み込むべきでしょう。目標に届かなかったならその都度話し合って行動を修正してください。

さてここまでで、初心者バンドマンに向けて言いたかったことはほとんど述べてしまいました。中には初心者にはピンと来ない話もあったと思いますが、いずれも出来る限り早いうちから知っておくべきことなので覚えておいてください。

最後に心構えの話をして終わろうと思います。初めに書いたように、「なぜ自分はバンドをやりたいのか」もっと言えば「なぜ自分はこの表現手段を選んだのか」を考えてください。すぐ答えが出なくても構いません。また答えがコロコロ変わっても問題ありません。
最初からそんなことを考える人はいないでしょうし、何事もなんとなく気になって始める、なりゆきで始める、模倣から始めるのが普通です。またかなりキャリアを積んでも何かしらの模倣であることは大いにあるし、せっかく人が苦労して作ってくれた道なのだからそれを踏襲するのは当然であるとも言えます。

「楽しそうだから始めた」そして「楽しいから続けてる」のは、それが惰性でないのなら大いに結構です。単なる模倣で終わりたくないのも、そのほうが楽しそうで、実際に楽しいからでしょう。逆にコピーに徹する人も、そのほうが楽しいからそうしているのでしょう。そこに優劣はなく、単に価値観の違いでしかありません。

しかしそもそも、バンドをやるより安上がりで労力も少ないエンタメは腐るほどあります。一人で音楽をやる方法だって幾つもあるし、音楽以外の自己表現手段もたくさんあります。なのでまだ自覚してなくても、言語化できなくても、バンドで音楽をやりたいなら、バンドでなければいけない理由が必ずあるのです。
なぜそれを考えるのが重要なのか、理由は二つあります。一つは、それが無いと「楽しくなくなった」ときに続ける理由がなくなってしまうことです。逆に言えば、その理由があるからこそ楽しいのです。当たり前のことですが、楽しめてるうちは理由を自覚してなくても楽しいでしょう。

一方で、バンドでなければならない理由を自覚していれば、そこに時間も金も労力もかけることを厭わないはずです。さらに賢い人ならば、その労力をも楽しいものに変える工夫をするでしょう。先述の「ネタツイートで大量のファンを集めたバンド」がその一例と言えます。

二つめの理由にいきます。主にオリジナルをやっている人たちの話になりますが、残念ながら現在は100%オリジナルの音楽なんて既に存在しないも同然です。
しかし自分の音楽そのものは模倣の集合体でしかなくとも「なぜその音楽が、その形でなければならないのか」を自覚し、それが音楽に宿っていれば、それは充分にオリジナルたり得ます。なぜならその音楽を成り立たせる価値観、哲学、信念は、他ならぬその人、そのバンド自身のものだからです。

そしてオリジナルというのは最早それ以外の形では(理解や共感を求めない実験音楽を除いて)ほとんど存在出来ないと言っても過言ではありません。どれほど手のこんだ優れた音楽、カッコいいバンドであろうとも、そういったものが反映されない音楽は、たいていの場合コピーと変わりないと思ってください(コピーに過ぎなくとも、それが単純に音楽として優れていることが重要だ、と考えるならそれも一つの信念でしょう)。

繰り返しますが理由は必ずあります。理由が変わっていく人もいるでしょうし、それを言語化するのに10年かかる人もいるでしょう。しかし絶対にあります。そしてそれは必要なものです。
なのでバンドを楽しいものとしてやり続けたい人は、音楽とともにそのことを考え続けてください。

以上でこの話を終えたいと思います。

初心者向けバンド講座(改訂版)-パフォーマンス向上編・2

今回はパート別のアドバイスをしていきたいと思いますが、ここではバンド編成で代表的なボーカル、ギター、ベース、ドラムに絞ることにさせてください。正直キーボードや管楽器のことはよくわからないので…。

まずドラムからいきます。8ビートをカッコよく叩けるようになりましょう。多少上手くなりはじめたレベルだと退屈に思いがちな8ビートですが、単純ゆえにここで気持ちよくノセれるようにならないと、複雑なビートを叩いても「浅い」ノリしか出ません。

現代のポップミュージックは16ビートが大半なので、聞き慣れているぶん叩きやすいという人もいるでしょうが、「16でノリが出るのに8では出ない」というのでは「自分がどうやってそのノリを出しているのか理解出来ていない」ことになります。

「なんとなくノリが出てればいいじゃん」と言いたくなるかもしれませんが、得意なリズムパターンでしかノリを出せないのでは作曲 / アレンジに制約をかけることになります。またお客さんがノれるかどうかはドラムが大きな責任を背負っているので、その意味ではライブ会場でお客さんを楽しませられるかどうかは実はドラムにかかっているとも言えます。
納得いかない人は、自分のプレイを録音して上手い人の8ビートと聴き比べてみましょう。それで「いやおれのプレイ完璧じゃん」とか思ってしまう人のことはまぁどうでもいいとしましょう。もしかしたら本当に完璧かもしれないですし。

それからもう一つ、スタジオでもライブでもできるだけ自分の手元でなくメンバーを見ながら演奏しましょう。そうしないと呼吸が合わず、自分はいいノリを出しているつもりでも「バンドとしてのノリ」が出ません。なおこれはドラムに限らず、ボーカルを含め全てのパートに言えることです。

次にベースです。おそらくドラムもなのですが、まず教則本などに必ずと言っていいほど書いてある「前ノリ・後ノリ」の項目、これは無視しましょう。なぜならそれらのノリを狙って出すためには、バンドメンバー全員が中級者以上であることが求められるからです。

どういうことかと言うと、前/後ノリを出すには、自分を含め最低2人が「ジャスト」のノリを意識しなければいけないからです。例えば後ノリを出そうとプレイしてる自分に、狙いを分かっていないメンバーがピッタリ合わせてきた結果、曲のテンポがどんどん遅くなるのは初~中級者バンドあるあるなのです。

ところでノリを出すということで言えば、前/後よりも実は「アクセントの位置」の方が重要です。これは何故かほとんどの教則本には書いてありません。例を出すので、もしあなたが初心者ベーシストなら、ちょっと実際にベースを持って試してみましょう。

まず普通に8分でルート弾きします。次に、1拍目のオモテだけ強く、同じ音を弾いてみましょう。はい、UKっぽくなりました。その次に、2、4拍目のオモテだけ強く、やはり同じ音を弾きましょう。するとUSハードロックっぽくなりました。アクセントの位置だけでこれだけ変わります。

なお最近はベースも花形楽器として扱われることがありますが、基本的な役割は裏方でノリを支えること、ルートを出すことです。その本来の仕事をきちんとこなせずに目立つプレイを目指してもアンサンブルが崩れるだけなので考え直してください。どうしても派手なことをしたい、「何をやってるか分かってもらえないことがイヤ」な人は、性格的に向いていないと思ってギターなりドラムなりに転向したほうが賢明でしょう。

次にギターです。まずはボリュームを下げましょう。マーシャル等、ゲインを下げると音が変わってしまうアンプもありますが、ギターしか聞こえないような音作りではバンドの意味がないので諦めてください。ちゃんと全体の音が聞こえるようセッティングしてください。

それからリズムキープをベース、ドラムに丸投げするギタリストが初心者バンドには多いですが、ドラムのところでも書いたように全体の息が合わないと「バンドのノリ」が出ないので、サボらずにリズムキープに参加しましょう。なお一応言うと、リズムをキープすることとテンポをキープすることは全く違うことです。正確であればよいというものでもないので、全体の音をきちんと聴いて合わせましょう。

また「ギターこう弾きたいから」という理由で他パートのフレーズを変えさせるギタリストも多いですが、それで自分のフレーズがカッコよくなっても他がカッコ悪くなったらバンドとしてはプラスマイナス0以下です。要求があるなら、バンドとしてプラスになるかどうかを考えてからにしてください。

こんなふうに書くとギタリストに対し悪意があるように見えるかもしれませんが、ギタリストのワガママで「もったいない音楽」になってしまうケースは枚挙にいとまがありません。「ギターは花形だから目立って当たり前」ではなく、「目立つパートだからこそ悪目立ちして迷惑をかけないよう気をつける」よう心がけて欲しいものです。

さてボーカルですが、とりあえず声量のない人が多すぎるのでまずはジョギングか水泳でもして肺活量を鍛えてください。音の大きい音楽をやりたいならなおさらです。小さい声を無理やりPAで大きくすれば当然ノイズも大きくなるので、「何を歌ってるのかよくわからない上にずっとハウリングしている」ことになってしまいます。

またタバコ吸っても酒飲んでもいいですがライブ中に声が出なくなるのは論外なので、喉が弱い人はライブ前には自重しましょう。

それから発声の悪い人も多すぎます。いくら音域広くピッチも正確で良い歌詞を良いメロディで歌おうとも発声がダメだと説得力が著しく低くなります。正直プロでも、日本ではバンド上がりだと発声の悪い人はすごく多いです。また発声の良し悪しは声量にも関わってくるので、声量に自信のない人はなおさら発声について気をつけてください。

さてここでボイトレに通うのもいいですが、当たった講師との相性が悪いと「発声は良くなったが気持ちよく歌えなくなった」みたいな話もよく聞くので覚悟が必要になります。

ところで一方、不思議なことに海外ミュージシャンではいい加減に歌っているようなパンクですら実はみな発声がしっかりしています。なので一つの提案として、僕は「英語の発声を身につける」ことをオススメします。

例えばフォニックス や英語耳 といったテキストでは単に正しい発音を聞くだけでなく、どうやってその音を出せばいいかも書いてありまたトレーニングの方法も載っています。
無理に英語で歌えというのではないし英語を話せるようになれというのでもありません。ただ日本語と英語では発声のプロセスも使う筋肉も全く違うので、良い発声、通りのよい説得力のある発声を考える上で参考になる部分は多々あると思います。

とはいえご存知の通り、英語の話せるボーカリストだからといって発声が良いとは限りません。2通りのケースがあります。1つは単に、話せはするけど英語の発声が悪い場合。もう1つは、英語の発声がきちんと出来るけど、日本語で歌った場合の発声が悪い場合。

ただいずれのケースでも対策は一緒です。少し細かく見ていきましょう。日本語の発声は腹筋をほとんど使わず出来ますが、それでは発声出来ない音が英語には多々あります。

正確には、発声出来ないわけではないけれどごく小さい音しか出ないので、非常に聞き取りにくい音になります。そこで腹筋をフル活用して「強く息を吐く」ことが必要になります。

ところでマイクに向かって歌うということは、マイクに息を拾わせるということです。当然、強く吐いた息は大きく拾うわけなので、生声で聴感上同じ大きさに聞こえる声でも、マイクに拾わせたときには強く吐いた発声のほうが大きい音になります。

この「強く息を吐く」をせずに大きな声量を出そうとすると必然、がなることになり、すぐ声が枯れます。また喉が強くなかなか枯れないにしても、多くの場合ピッチが荒れます。これが日本語であっても英語の発声を歌に活かすことをオススメする理由です。ボイトレ通いを考えてる人にはぜひ参考にして欲しいと思います。

英語の発声が普通にできる人ならそれを日本語で歌う際に活かせば、たぶん驚くほど改善されるはずです。一方、英語で歌う際に、これは日本のメロコア/ハードコアバンドに多いのですが、英語の「音」を知ってても、自身の発声が悪い人は、平坦で違和感のある英語で歌ってることが多いです。

逆にもともと発声の良い人は、英語がわからなくても英語で歌った際にたいてい自然な起伏のある、違和感の少ない響きになります。これは一般的な日本語の発声には起伏が少ないことに起因しています。一方英語は大きな起伏をつけながら話されることが普通なので、英語の発声を理解することで、歌そのもののダイナミズムも向上するかもしれません。

いずれにしても、日本の音楽リスナーは歌ばっかり聴くことは周知の事実であるにも関わらず、自身の歌力について認識の甘いボーカリストがあまりに多いので声量と発声の件を真剣に検討するボーカリストが増えることを僕は望みます。

さて「自然な起伏」という言葉が出てきたので、ついでにダイナミクスの話もしておきたいと思います。よく「強弱/大小をつける」と解釈されますが、もうちょっと解釈の幅を広げて「立体感を出す」ぐらいに考えたほうが適切だと思います。これはどのパートでも共通です。

例えば同じ大きさの音を出してもタッチが硬いか柔らかいかで音の印象は変わってきます。もちろんエフェクター等で音色自体を変えるのも同様だし、同じフレーズでも1音ごとの長さを変えるだけで全く違って聞こえます。そういうところまで含めてダイナミクスと考えたほうがいいでしょう。

あるていど演奏できるようになってきた初心者にありがちなケースとして、「Aメロを普通の強さで演奏し、Bメロをやや弱めに、サビを最大の強さで演奏する」ぐらいの認識でダイナミクスを表現したつもりの人が多いですが、これは全くの勘違いです。

実際には1音1音に対し音量や音価やタッチの大小/長短/強弱をコントロールします。さすがにエフェクターを1音ごとに変えるとはいきませんが、それらを総合して結果的に「Aメロが普通の強さ、Bメロ弱め、サビが最大の強さに聞こえる」ということになります。もちろん曲の構成はあくまで例であってこの限りではありませんが。

もう一つ例として、グランジ等でありがちな「爆音→無音→爆音→無音」の繰り返し構成のとき、全ての爆音パートを全部最大の音量、最強のタッチで演奏したら、驚くのは最初の1回目だけで、以後は平坦な音がずっと続いてるのと聴感上同じに聞こえるので注意してください。爆音の中でも微妙なコントロールは必要なのです。

なおこれは個人的な見解ですが、たいてい日本人の音楽にダイナミズムが乏しいのはその言語的特性と大いに関係あると思っています。それを理解した上で日本人ならではの特色と考えるならそれはそれで構いませんが、分かっていてやるのとそうでないのとでは音楽の説得力が大幅に変わってくるので、ぜひこの点についても一人でも多くのバンドマンに考えて欲しいと思っています。英語を勉強するか、でなければ少なくとも英語圏の音楽を勉強のつもりで聴いたほうが良いでしょう。

似たようなことを以前にも述べましたが、J-POPですらルーツを遡れば半分はブルース、英語圏の音楽なのですから。

初心者向けバンド講座(改訂版)-パフォーマンス向上編・1

これまで初心者バンドにはスタジオやストリートでのライブをオススメしてきましたが、しかしこの活動の仕方に徹していると、おそらく伸び悩むと思います。少なくとも「ライブの力量」においては確実にそうなります。

おそらく好きなプロのバンドのライブなどは観て参考にしているとは思いますが、ご存知の通り大きい会場で数々の仕掛けを使ったライブと、スタジオなど小さい会場のライブでは別物と考えたほうがよい部分が多々あります。
ステージの使い方はもとより、PA機材を通した上での音作りなどはやはり実際にそれらを使わないことには身につきません。
また見落としがちですが重要なことに、大人数を集客できるレベルのライブにおいては、ファンが自発的に楽しみ盛り上げてくれることによって、バンドの力量との相乗効果でより「良いライブ」になりやすいことがあります。

一方ファンの少ないアマチュアバンドでそのような効果が生まれることは稀です。スタジオではまず集客可能な人数に限界がありますし、ストリートにおいては通りすがりの人々を引き込まなければならないわけで、するとここで求められるライブの力量とは「自発的に楽しもうとしない視聴者を引き込む力」となります。そしてこれはレベルの近いバンドと自分たちを比較しないと、自分たちに何が足りないのかはなかなか見えてきません。
そこで提案したいのが(欠点には直せるものと直せないものがあるので気にしすぎるのも良くないのですが)、足りないもの、伸ばすべき部分の参考とするために、他人のライブを観に行くことです。

まずは手近なライブハウスのサイトを開き、スケジュールを確認して都合の良い日に出てるバンドを試聴しましょう。そして良いと思うバンドを見つけたら、積極的に足を運んでください。動画をアップしているバンドも多いので、事前にライブの雰囲気を予習しておくのもいいかもしれません。
もちろんチケットは安くないですが、勉強料と思えば大した金額ではありません。ぜひ自分たちのやりたい音楽と近いことをやるアマチュアバンドを実際に観て、何が自分たちと違うか研究してください。
次に、自分たちのライブ映像を誰かに頼んで撮影してもらいましょう。そしてそれを観ながら他人のバンドと比較検討してください。なお他のバンドを観る際、多くのライブハウスにはライブ映像をリアルタイムで映すモニターがあるので、実際のステージと映像とを比較しながら観るとなお参考になります。

もしこの段階で既にある程度の集客が見込めるなら、実際に自分たちがライブハウスに出てみるのもよいでしょう。対バンのステージとモニター映像を見比べ、また自分たちのライブを撮影し観れば、環境が同じであるだけに差もハッキリ現れると思います。
例えば自分がステージ上でかなり暴れているつもりでも、撮影してみると案外地味な動きしかしてなかったりするものです。これは暴れている他のバンドを観てモニターと比較することで、「どのくらい動くと映像でどう見えるか」が分かってくるので、修正するのにかなり役立つはずです。
またステージアクションだけでなくライブ全体の流れ、次の曲を始めるタイミング、MCの内容や間の取りかたなど、映像によってシビアに明らかになる「ライブの上手いヘタ」は多岐に渡ります。

デメリットを承知の上で初心者バンドにスタジオやストリートでのライブを勧めてきたのは実力とお客さんがつくまでの出費を抑えるためですが、上記のような「ライブの上手さ」が身につかないと、仮に充分優れた音楽をやっていたとしてもチケットを買って来場したお客さんの多くは「無料音源だけ聴けばいいや」と思ってしまうでしょう。タダで入場出来るスタジオライブですらも、「毎回観たい」と思ってくれるお客さんの数は頭打ちになっていくはずです。
またより上のステップに進むためには「お金を取ってショウを観てもらう」という意識をきちんと持つことも大事です。「金を払ってでも観たい」と思えばこそ、お客さんは何度も足を運んでくれるのですから。

なので他バンドを参考にする際にも、「自分が金を払ってこのライブを観たらどう思うか」と考えながら観るよう心がけましょう。もちろん自分たちのライブ映像を研究する場合も同様です。そのためにも、ある程度こなれてきたバンドは出来る限りライブを映像に残すようにしてください。
なお念のため補足しますが、映像を交えて他バンドと比較検討するのはライブショウの見せ方や流れであって、音楽を比較するのは余程クオリティに差がある(と感じた)場合を除いて避けるべきと思っています。初心者バンドがそれをやることが、ライブハウスシーンに似たような流行り物バンドが増え続ける一因になっていると僕は考えているので。まぁ余談かもしれませんが。
ただもちろん無名のアマチュアバンドでも物凄い音楽をやるバンドは数多くいるので、そういうのに出会ったならどんどん影響を受けて良いと思います。

ところで音楽の質の比較という点において非常に重要なことなのですが、自分たちで作って演奏する楽曲は当然自分たちの好みが反映されており、また思い入れがあるので自分たちにとってカッコ良く聞こえるのは当たり前です。
なので、他バンドを聴いて「まだちょっと自分たちが負けてるけど、そこそこ勝負出来てるんじゃないの?」と思うなら、それはほとんどの場合、一般聴衆からすれば「比較にならないほど負けてる」段階だと思ったほうが妥当です。
自分で聴いて「完全に勝ってる」と思うぐらいで実際にはやっと勝負になるレベルだと思ってください。
なお「音楽に勝ち負けなんて無ぇよ」と言いたい人が多いと思いますが、集客の増加を望む以上「お客さんに選ばれるか選ばれないか」という意味での勝ち負けは厳然として在ります。そこはお茶を濁さずきちんと向き合ってください。

もちろん、いかに楽曲の質を向上させるかを考える必要もあります。
そしてその方法は「自分が影響を受けたバンドに影響を与えたバンドを聴きあさる」ことに尽きます。また「自分と同じバンドからの影響を公言しているバンド」を聴くことも参考になると思います。同じ音楽を聴いてその内に何を見出すか、その差異を自覚することは自分の音楽を相対化し、過剰な思い入れを抑えセンスのアップデートに繋がります。どれほど才能に恵まれたとしても、音楽的な引き出しを謙虚に増やし続けないことには良い曲を作り続けることなど誰にも出来ません。
さらに直接影響を公言していなくても、それぞれのバンドと同時代、同世代の音楽を数多く聴いたほうがよいでしょう。自分にとって興味のあるジャンルでなくとも、それぞれが相互に(意識的にしろ、無意識的にしろ)影響を与えあってシーンを形作るのが普通のことなのですから。

もっと言えば、(広義の)ポップミュージックに時代性が反映されないということはあり得ないので、願わくばそれぞれのバンドが登場した時代背景、文化的文脈まで考察して欲しいところです。
要はそれぞれのバンドがなぜ脚光を浴び、またそれぞれの楽曲がなぜその時代に生み出されたのかを、シーンの在り方やその移り変わりの中で捉えることが出来れば、自分たちのバンドが活動する時代背景(つまり現代ですね)から自分たちのやるべき音楽の姿もおのずと見えてくるということです。

ただ実際問題として、メンバー全員がそこまでやるのは労力が多すぎるのも確かです。なのでもう少しシンプルで、かつバンドっぽいやり方として、あえて普段聴かないような曲、あまり興味のない音楽を幾つかピックアップして「この曲を自分たちの好きなバンドがカヴァーしたらどうなるか」というコンセプトでアレンジしてみるのをオススメします。
すると、自分の好きなバンドの「そのバンドらしさ」が、本来それとかけ離れた音楽との対比によってより浮き彫りになります。換言すると「なぜ【そのバンドが】素晴らしいのか」が明らかになります。
その「らしさ」「素晴らしさ」をきちんと理解することは凄く大事です。「俺このバンド好きだから似たようなことやりたい」では、その好きなバンドより豊かな才能に恵まれた場合を除いて、単なる劣化コピーで終わってしまいます。より魅力的な楽曲なんて一生作れないし、下手すると時流に合わず「まだそんな音楽やってるの?」と言われかねません。

もちろん、その素晴らしさをきちんと理解した上で、時流に合わないことも承知でそれをやりたいのなら一向に構いません。実際そういうスタンスで凄くカッコいいバンドもたくさんいます。ただ初心者バンドにとって、特にプロ志向であるなら、それがイバラの道であることはあらかじめ言っておきます。繰り返しになりますが、ポップミュージックをやる上で時代性からは逃れられないのですから。

それからもう一つ、楽曲そのものについてではないのですが、インストバンドでないのなら、歌詞を書く人は、ラノベでもいいので本を読んでください。言葉だけで表現された作品に触れて、「言葉で表現する」ということについて真剣に考えてください。
もちろん歌は歌であって言葉だけによる表現ではないわけですから、その意味では優れたセリフを多く持つマンガや映像作品もたくさん存在する以上、それらを参考にするのでも構わないし、下手なラノベよりマンガや映画の名作を鑑賞するほうがマシという意見は否定出来ません。しかしいずれにせよ「作詞家」という職業が成立する意味を考えたなら「言葉としての表現の質よりも自分の言葉で歌うことが大事」なんて恥ずかしいことは言えなくなるはずです。

現実問題として職業作詞家の存在感は薄くなる一方ですが、それがシンガーソングライターの作詞能力の向上によるものであるというより、歌詞の質を問う意識が低くなっていると考えるべきでしょう。それは違うと思うなら、試しに詞を先に書いてみてください。そして「この詞は曲をつけて歌われるべきか」と考えてみてください。

もちろん必ずしも深い思索的内容を伴った詞である必要はありません。ただそれが「言葉としての面白味」を持っているかどうかは重要です。聴かれることを前提に歌詞を書くのであれば、楽曲の質を問うのと同じように歌詞の質をも問わなければならないはずです。

もし「歌詞なんてメロディに合ってさえいればどうでもいい」と思うなら英語で歌えばいいと僕は思います。そもそも現在のポップミュージックは原則として洋楽由来であり、そして洋楽は英語の語感を前提に生まれているのですから。